cry no color

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遊びにも勉強にも熱心になれないところは自分の悪いところだと思う。でも何よりも悪いのはそうやって断言してしまうことで遊びからも勉強からも自分自身を遠ざけていること。友達がほしい(別にほしくないけどいたほうがよさそう)と言って友達ができないのと同じ。くだらないと思っているわけではないし憧れるし欲しいのになぜか認められないのはかわいそうな気もする。草臥れるほど熱心に楽しくなれるかどうか、その可能性を頭で吟味してしまうからなかったことになる。 自分の内面についてメタ的にとらえることが良い働きになったことはあまりない。実質的に良い、という意味で。私はしばしば心の底から、ということに執着したい気分になるのだけれど、もしかしてそれが邪魔になっているのか。とにかく無心になれないことを意識したらいよいよ無心にはなれない。 心がじんわりと温まるような安心感や、人を好きだと思うことによる幸福というのを、最近は味わっていないように思える。さみしい、と言いたいところだけど、ほんとうのところ、つまらない、という表現のほうがより適切な気がする。いつも濡れていたいのに、乾いている、風がふいたら吹き飛んでしまいそうなことを不安にすら思わない、いつも濡れていたいのに、というのはすでに学習された呪文で、私は当然そうあるべきだという知識に基づいて、祈っている。願っている。 物足りなくあるべきだと信じることと、物足りないという事態そのものの違いは、途方もない。
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